大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和51年(う)387号 判決

被告人 池田信雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官竹平光明作成名義の控訴趣意書(但し、当審第四回公判における検察官鈴木信男の釈明参照)に、これに対する答弁は弁護人遠藤雄司作成名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

検察官の本件控訴の趣意の要旨は次のとおりである。

すなわち、原判決は本件公訴事実(本位的訴因、別紙記載のとおり)に対し、

(一)、株式会社グリーン・アート・センターは畠山みどりこと千秋みどり(以下単に「畠山」または「畠山みどり」という)を代表取締役とし、演芸興行等を目的とするものであり、被告人は右グリーン・アート・センターにマネージヤーとして勤務し、畠山みどりが行う演芸の企画、構成、進行等の補佐をしていたこと、(二)、畠山みどりは、昭和四八年六月三日刈谷市大手町二丁目二五番地刈谷市民会館で催される株式会社三栄組の従業員慰安会に出演することになつたこと、(三)、同年五月二八日右市民会館で、畠山と舞台装置の操作等を担当する刈谷市職員石川実、樅山伸一らとの間で、畠山の出演する右シヨーの進行について打合わせが行われたが、被告人は畠山とともにこれに出席したこと、(四)、右打合わせでは、畠山の出演中に舞台装置の小迫りを四回使用することとされ、うち一回は八代英太こと前島英三郎(以下単に「八代」または「八代英太」という)の舞台出演中に下降させることになつたこと、(五)、右小迫りの位置、構造及び操作は公訴事実記載のとおりであつて、それが下降されるとステージに欠落部分を生じ、八代が演技中にわずかに後退すれば、ステージから約四・七メートルの奈落へ転落する危険があつたこと、(六)、慰安会当日の午後二時ころ八代英太が出演し、ステージ中央の固定マイクの前に立つた際、市職員の石川実が小迫り操作担当員の樅山伸一に対し小迫りの下降方を指示した結果、一曲目を歌おうとした八代が数歩後退してステージの欠落部分から奈落に転落し、公訴事実記載のとおりの傷害を負つたこと、

などの各事実を認定しながら、

被告人が、仮に現場担当マネージヤーであつたとしても、畠山みどりの出演契約の内容は業界のいわゆる裸シヨーに当たり、畠山側は、本件シヨーの構成及び進行について責に任ずべきでなく、プロモーターである子安興行社が責を負うべきであり、被告人は、畠山の使い走りにすぎず、検察官主張のごとき注意義務があつたとするには強い疑問が残り、本件事故について被告人に過失を認めるに足りる証拠はないとして無罪の言渡しをした。

しかしながら、

第一、本件シヨーの性質、被告人の実際上の地位及び職務内容、すなわち

一、畠山みどりシヨーの実態からみて、その構成及び進行についての責任は、子安興行社が負うべきではなく、畠山みどり側が負うべきものであること

二、被告人は、本件シヨーの進行について、畠山みどり経営のグリーン・アート・センターの現場担当マネージヤーとして、畠山とともに現地に乗り込み、畠山を補佐して現実に舞台進行責任者として行動していたのであつて、単なる使い走りでないこと

に照らし、被告人には公訴事実記載の業務上の注意義務があつたことは明らかであり

第二、本件小迫り下降時機に関する打合わせの経過等、すなわち

一、八代の出演中に小迫りを下げる時機は、五月二八日の打合わせにおいて定められたものであること

二、右打合わせに基づき、畠山は被告人に対し、小迫りの下降時機について八代と連絡協議するよう指示していたものであること

三、被告人は、前記のとおり舞台進行責任者の立場にあつたからこそ、会館の職員に対しては小迫りの下降時機を指示しているのであるから、当然、八代に対して同様の確認、連絡をすべきであつたこと

四、被告人は、本件当日午後一時四〇分ころ、八代から小迫りの下降時機を花束贈呈後にしてもらいたい旨の要望を受けていたのであるから、当然これを舞台操作係員に対して連絡すべきであつたこと

に照らし、被告人に公訴事実記載の過失があつたことは明らかであり

原判決は、これら本件シヨーの性質、運営の実態、被告人の実際上の地位及び職務内容、小迫りの下降時機に関する打合わせの経過及び内容等重要な事実に関して、採証の法則を誤つた結果、事実を誤認し、無罪の判決を言い渡すに至つたものであつて、右事実の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、原判決が本件起訴状記載の公訴事実(本位的訴因)に対し、大略所論摘録のような理由で無罪の言渡しをしたものであることは原判決書により明らかであるところ、先ず、本件各証拠を総合すると原判決書理由の項のうち(一)ないし(六)記載の各事実(前記摘録の(一)ないし(六)の各事実)を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

そこで、所論のうち前記第一として記載した点について考察する。

先ず、本件のシヨーの実態について検討すると木村勝彦の司法警察員に対する昭和四八年六月二八日付供述調書、原審第六回公判調書中証人井上健一、同加藤勝司郎の各供述記載、同第八回公判調書中の証人椎野寿脩、同加藤勝司郎の各供述記載、同第九回公判調書中の証人前島光義の供述記載、同第一二回公判調書中の証人木村勝彦の供述記載、同第一六回公判調書中の証人畠山こと千秋みどりの供述記載を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

株式会社三栄組は原判示日時、原判示会館において、従業員慰安会を行うことを企画し、そのアトラクシヨンの構成、タレントの斡旋を子安興行社(代表子安清八)に依頼し、右依頼を受けた右興行社のマネージヤー加藤勝司郎は右アトラクシヨンを第一部、第二部に構成し、右第二部を畠山みどりシヨーとし、同シヨーには畠山みどりのほか八代英太及びしいの実こと椎野寿脩の各タレントの出演を企画し、右興行社において各タレント又はその所属のプロダクシヨンとそれぞれ別個に出演契約を結び、右畠山みどりシヨーにおいては畠山みどりがシヨーの中心、他の二名はゲスト出演となり、第二部一時間三〇分のシヨーの各出演時間を、畠山みどり、八代英太各所属のプロダクシヨンと右興行社との間において決定したほかは、同シヨーの中心となる畠山みどりが、右加藤との間で、畠山以外の出演者が八代と椎野であること、及び椎野の提供する演技の種類を確認し、昭和四八年五月二八日直接出演会場である市民会館側の舞台装置関係職員に対し、自作の進行表を示し、畠山の演技のシヨーアツプのための本件小迫りの使用、右各ゲスト出演者の出番等を含む同シヨー運営全般について打合わせをなしたことが認められる。

ところで、当審の証人鬼澤慶一、同山田寛及び八代英太こと前島英三郎に対する各証人尋問調書の記載を総合すると、シヨーの形態には、いわゆる裸シヨーと、パツケージシヨーとの分類があり、これらの形態によつて、舞台の進行担当者が大略定まることが多いが、しかしその時々で、必ずしも進行担当者が一定しているわけではなく、従来の慣例では、主たるタレントのマネージヤーが行う場合が多いが、その他の者が進行担当者になる場合もあるというのであり、右の裸シヨーと、パツケージシヨーとの分類も右各供述記載によれば従来の慣例から、一般的概略的に分類されたもので、すべてのシヨーの形態がこの二種に厳密に区別され、これによつて舞台進行の担当者が定まるものではないという趣旨が看取され、その他の本件各証拠を検討しても、この認定をとくに左右するものは存しないのであつて、これにその他の証拠を加え前記認定のような本件シヨーの形態を考察してみてもこのシヨーが前記二者のいずれに属するか必ずしも明確でないところであり、従つて、本件シヨーの形態から、本件における舞台の構成ならびに進行の担当責任者が何人であるかを明確に定めることができない。しかも、本件全証拠を調べても、本件シヨーにおいて特定の舞台監督あるいは進行係を指定したという形跡はない。ただ本件における各証拠を総合すると、少なくとも、前記の五月二八日の打合わせの機会等において、本件シヨーの進行に関し、畠山みどりが積極的に発言して、主働的に行動し、本件シヨーにおいて、小迫りを使用することも同人の主張によつて決定したのであることが認められ、これらの事情と、前記の証人鬼澤慶一らの証言を合わせると、本件シヨーの構成進行の監督責任者は所論のごとく同シヨーの主たるタレントである畠山みどりの側にあつたのではないかと一応は考えられるが、しかし、本件各証拠を彼此対照して考察するかぎり、右は単なる推測にとどまり、これをそのように断ずるだけの資料に乏しいといわねばならない。このように考えてくると、本件シヨーがいわゆる裸シヨーの形態に属するものでありひいては本件シヨーの構成及び進行についての責任は一般原則に従い子安興行社が負うと結論することは本件証拠上、到底できないがさればといつて、所論のごとく、右の責任は畠山みどり側が負うとすることも、これを裏付ける証拠が不十分であり、結局、本件シヨーの形態もしくは、その進行に際しての事情等から本件シヨーにおける構成ならびに進行についての全体的総括的な責任者を特定しこれによつて本件事故の責任を追及することは困難であるといわねばならない。

次にひるがえつて被告人の地位立場について検討すると、被告人の司法警察員に対する昭和四八年六月二九日付同年八月一日付各供述調書、畠山こと千秋みどりの司法警察員に対する昭和四八年八月一日付供述調書の記載などによれば、被告人は高等学校一年で中退し、昭和三八年ころアサヒネオン株式会社に三年半ほど勤務したほか、病気その他の事情で定職に就かず暮しているうち昭和四七年七月株式会社芸音に入社してはじめて芸能マネージヤーとしての道を進み、同四八年五月一一日前記グリーン・アート・センターにマネージヤーとして入社した者であるところ、右のグリーン・アート・センターでは、入社後二ヶ月間は見習期間とされており、本件シヨーの当時被告人は、未だこの見習期間中であつたことが認められ、この認定に反する証拠はなく、また、被告人が、本件証拠上、本件シヨーに関与した程度は、所論第二の点に関して後に説示する行動のほか、椎野寿脩に対し同人の出番、曲数、小迫りが下りていることなどの注意連絡をしたこと(原審第八回公判調書中の証人椎野寿脩の供述記載)、八代英太のマネージヤー前島光義に対し畠山シヨーの進行表を手交したこと(前島光義の司法警察員に対する昭和四八年六月二九日付供述調書、原審第九回公判調書中の証人前島光義の供述記載、当審の証人八代英太こと前島英三郎に対する証人尋問調書の記載)本件シヨーの開始にあたりどん帳を上げるきつかけについて会館側職員に指示していること(原審第四回公判調書中の証人樅山伸一の供述記載)などが認められる程度であつて、右認定の諸事情に、さきに本項前段で認定した事情を併せて考察すると、被告人が、本件シヨーにおいて、その構成、進行について全体的総括的に指示監督をする地位職分を有したとは到底認められず、ひいては被告人に本件シヨーの構成、進行の監督責任者として、この地位職分に応ずる注意義務が発生するとみるに由ないところである。従つてこの点に関しては原判決には判決に影響を及ぼすような事実の誤認は存しないことに帰する。

そこで所論のうち前記摘録の第二と記載された点について検討する。

本件において被告人が昭和四八年五月演芸興行等を営業目的とする株式会社グリーン・アート・センターに入社し同社代表取締役の畠山みどりの現場担当マネージヤー(ただし本件シヨー当時は見習)をしていたものであるところ、昭和四八年六月三日に刈谷市大手町二丁目二五番地刈谷市民会館で催される株式会社三栄組の従業員等慰安会に畠山が出演することとなり、同年五月二八日同会館において、右畠山とともに、小迫りと称する舞台装置の操作を担当する刈谷市職員石川実、樅山伸一らとの間で、右慰安会における演芸の進行について打合わせをしたこと、同演芸会には八代英太が出演することになつたこと右小迫りはほぼ舞台中央にあつてそれが下降すると舞台の床に幅約二・〇五メートル、奥行一・七八メートルの欠落部分を生じ、八代英太が出演し、舞台前面中央付近に立つた場合そのわずかな後退によつて同所から約四・七メートル下の奈落へ転落する危険があつたこと、同年六月三日午後二時ころ八代英太が舞台に出演した直後、右石川が右樅山に指示して小迫りを下降させた結果、数歩後退した八代英太をして、小迫り下降後の舞台床欠落部分から奈落に転落させ、よつて同人に加療約一ヶ年を要する第一一、第一二胸椎間脱臼、第一二胸椎骨々折、脊髄損傷を負わせたものであること、はいずれもさきに認定したとおりである。

そこで先ず前記の五月二八日の畠山みどりと会館側との打合わせの内容について考える。原審における証人谷健次の尋問調書、原審第四回、第一三回各公判調書中の証人樅山伸一の供述記載、同第五回、第一三回各公判調書中の証人石川実の各供述記載、同第六回公判調書中の証人井上健一、同神谷邦光、同磯村嶽広の各供述記載によると、右各証人らはほぼ一致して、「前示の五月二八日の打合わせにおいて畠山みどりの希望により、本件の演芸の効果を上げるため小迫りを使用することになり、八代英太の出演中にも小迫りを下げるが、これは小迫り使用の順番からいつて四回目に当る。畠山みどりははじめこのシヨーに八代が出演することは知らなかつたようであるが、八代が出演中に小迫りを下ろすことになると知り、『八代がマイクの前に立つたら、すぐに小迫りを下げてくれ』と言い、会館側の者らが、それは危険である旨申述べたところ畠山は、『八代はプロだから大丈夫だ』と言い、さらにその際傍らに居た被告人に対し、『八代に対し、責任をもつてこのことを連絡しておきなさいよ』と指示した」という趣旨を述べており、また当審証人石川実も、この点について右とほぼ同様な状況を供述、確認している。これにつき原判決は、右のうちとくに小迫りの下降時機が右の五月二八日に決定したとの点、畠山みどりが被告人に対し右のように指示したとの点につき右各証人らの各供述が、被告人を含めた、いわゆる畠山みどり側の各証人らの供述に抵触するところ、本件各証拠によつて認められる本件当時の諸種の情況をも勘案して、いわゆる会館側の前記各証人の証言は措信できないとの結論に達しているのであるが、畠山こと千秋みどりの検察官に対する昭和四九年三月一九日付供述調書の記載によれば、同人は、右の五月二八日の打合わせで、小迫りの下降時機が決定したとの点は否定するものの、右打合わせの際被告人に対し迫りが降りますからよく注意して下さいと八代さんに伝えて置きなさいと言つた旨を述べまた原審第一六回公判調書中の証人畠山こと千秋みどりの供述記載にも、ほぼ同趣旨の記載があり、さらには、原判決のいわゆる畠山側とみられる篠田光央も同人の検察官に対する供述調書の中で、畠山みどりが被告人に対し迫りの使用の連絡を八代英太にしておけと指示したことは覚えている旨、述べているのであつて、なるほど、前記のいわゆる会館側の各証人の証言を逐一、仔細に検討してみると、会館側に本件の責任の及ぶのを恐れ、本件小迫りの下降に関して危険を予知し、これが防止のため会館側において手をつくした旨をとくに強調して述べているきらいが存することは看取されないではないけれど、そのゆえにその証言全体が措信できぬとするには躊躇せざるを得ない。ところで、前記の石川実、樅山伸一らが、八代英太の出演直後に本件小迫りを下降せしめたことは前記認定のとおりであり、本件各証拠を総合すれば、八代の出演時間が一五ないし二〇分間とされており、会館側も畠山側もこの点ほぼ了知していたこと、本件小迫りの上下は八代において使用するものではなく、八代の出演終了後、畠山みどりが、これに乗つて舞台に出るために下ろしたものであることが認められ、これらの点はほぼ争いのないところであり、当審第二回公判における証人石川実の供述によれば、本件小迫りの上下に要する時間は約五七秒間で、小迫りを下げて、出演者に乗つてもらいこれを舞台に上げるのに要する時間は、二分間見ておけば十分であるということであり、さらには、原判決も触れているように、前掲のいわゆる会館側の各証人の証言によれば、前記の五月二八日の打合わせにおいて、畠山みどりが、八代の出演中舞台後方に居るバンドを休ませたいから、その間中幕を下ろして欲しい旨提議し、これに対して会館側は小迫りを下ろしておいて中幕を下ろすと八代が中幕までは安全だと思つて後退すると危険であるから、中幕を使用しないでほしい旨主張し、結局、スポツトライトの操作により舞台後方すなわちバンドの居るあたりを暗くしてバンドを休ませるという方法をとることに決定したことが認められ、この事実については、いわゆる畠山側の証人もこれを認めているところである。(なお原判決はこれを、前掲の会館側の証人の証言の信用性を否定する資料としているようであるが、むしろ前記打合わせの際に、八代の出演のはじめに小迫りを下ろすことに決していたことを推認させる点で、右各証言に添うものと考える。)しかも、本件シヨーの当日、八代英太が会館に到着した後、被告人が八代に対し少なくとも、八代の出演中に小迫りが下る旨連絡していることは、被告人自らも認めているのであり、また、本件証拠上、前記の五月二八日の打合わせの後本件シヨーの当日に至るまで、畠山みどり側および会館側、もしくは八代英太との間で、八代の出演中の小迫りの下降時機についての打合わせがなされたとの形跡は全く存しないのである。

これらの附随事情を念頭において、前記の各証人らの前掲摘録部分の証言を考察してみると、同各証人は右の部分に関していずれも一致して明確に供述しており、その一致している点につきとくに不自然は感じられず、その他の証拠と対比しても、右の部分に関する限り不合理不自然な点を発見できず、これに反する、原審第一四回公判調書中の被告人の供述記載、被告人の検察官、司法警察員に対する各供述調書の記載、原審第一六回公判調書中証人畠山こと千秋みどりの供述記載、畠山こと千秋みどりの検察官ならびに司法警察員に対する各供述調書の記載、原審第七回公判調書中の証人吉田賢二の供述記載などよりも措信することができると思われる。押収にかかる当裁判所昭和五一年押第一四八号の一ないし三の各進行表には、本件小迫りの下降時機についての記載がないが、これをもつて、前記の五月二八日の打合わせにおいて、小迫りの下降時機が決定していなかつたとの証左となすに足らず、その他本件各証拠を調べても前掲のいわゆる会館側の各証人がほぼ一致して供述している前記摘録部分が虚偽であると断ずべき証拠はなく、また、自己の保身のためというだけでは、その理由となすに薄弱である。

そして、本件各証拠によれば、八代英太が本件シヨーの当日、同人の出演時間の直前に会館に到着したことが明らかに認められるところ、同人が到着してからその出演に至るまでの同人と被告人をはじめ会館職員その他の者との応待あるいは対話に関しては、本件各証人の証言が錯雑していて、これを正確、詳細に認定することは困難であるが、ただ前記の原審第一四回公判調書中の被告人の供述記載、被告人の検察官ならびに司法警察員に対する各供述調書の記載によつても、被告人は八代英太に対し、小迫り下降の時機を明確にせず、単に迫りが下りますから注意して下さいと言つたにとどまる旨を述べており、これにその他の証拠を併せ考えても被告人が本件小迫りの下降の時機について右以上に八代はもとより会館側職員らに対し周知徹底せしめるような措置をとつたという事実は全く認められない。

さらに、八代英太に対する花束贈呈の件について検討すると、八代英太こと前島英三郎の司法警察員に対する供述調書の記載によれば、原判決も指摘するように、八代に対し花束贈呈があるという話をしたのは司会者の吉田賢二、(又は山口)であり、これに対し八代が右吉田に対し三曲目を終つたら小迫りを下げてほしいと依頼した旨の記載があり、原審第七回公判調書中の証人吉田賢二の供述記載も、ほぼこれに照応するものであるが、一方、原審第一〇回公判調書中の証人八代英太こと前島英三郎の供述記載によると、被告人から花束贈呈の話があり、そこで、三曲目の赤城の子守唄を歌つた後に花束をもらうから、その後に小迫りを下げてほしいと打合わせ、その後に、前記吉田とも同様の対話をしたというのであり、これのみではいずれとも判定できないが原審第九回公判調書中の証人前島光義の供述記載、前島光義の司法警察員に対する供述調書の記載をみると、同人は、被告人が八代に対して花束贈呈があることを伝え、八代と被告人とで、迫りを下ろす時機について打合わせをしており、それからすぐ被告人は出て行くとすぐ山口が入つてきて、被告人と同様なことを話していた旨を一貫して述べており、とくに、前島光義の右各供述記載を見ると、そこに表現されている情景が、まことに印象的であり、真実性を帯びており、この点については当審において再度証人八代英太こと前島英三郎を取調べたところ、ほぼ、これに添う供述を得ているのであつて、これを措信せざるを得ない。弁護人は被告人が八代英太と右のような応待をした筈がないとしてアリバイを主張するけれども、さきに説示したように、八代英太の出演直前における被告人はじめ、本件関係者らの各行動を逐一、正確詳細に認定するには本件各証拠が錯雑していて困難なところであるし、本件全証拠に照らしても被告人が会館はもとより、本件シヨーの舞台もしくは出演者控室から遠く離れていたとの証拠はなく、被告人が、原審ならびに当審で、出演者控室に行かなかつたと供述し、また、被告人がそのころ、右控室以外の場所にいるのを見たとの証拠があつても右認定を否定するアリバイとなすを得ない。そこで以上認定してきたところを総合要約すれば、結局、本件シヨーに関し昭和四八年五月二八日刈谷市民会館において、畠山みどりおよび被告人ら、ならびに、石川実、樅山伸一ら会館の本件シヨー担当者らが同シヨーの進行についての打合わせを行い、その結果八代英太の出演中に小迫りを下ろすこと、その時機は八代が出演してマイクの前に立つた直後にすること等が決定され、その際畠山みどりが、被告人に向つて、八代に対し同人の出演中小迫りを下ろすことならびにその時機を責任をもつて連絡するよう指示し、被告人もこれを了承したが、本件シヨーの当日、被告人は、八代に対し、小迫り下降の時機について適確な連絡をせず、しかも、八代から、その時機の変更の申出があつたのに、八代の出演時間が切迫していること等もあつてこの旨を会館職員らに連絡せず、その他適切な処置をとらなかつた。そのため八代は出演後まもなく舞台上で不用意に後退し、すでに下ろされていた小迫りの穴に転落して、前示傷害を負うに至つた。というに帰する。そして、右認定によれば、本件シヨー担当の会館職員ら関係者列席のうえ、前記内容の打合わせをし、その場において、本件シヨーの主たるタレント畠山みどりから右関係者らの面前で、被告人に対し前記のような指示があり被告人がこれを了承した以上、右会館職員ら関係者らにおいて、前記打合わせどおり、本件シヨーの進行がなされ、これに従つて、舞台設備等の操作をなすべきものと考えるのは当然のことであり、ひいて、被告人は、右打合わせに出席した関係者らから、八代に対し本件小迫りの下降ならびにその時機について連絡する責任を負担せしめられたものと解することができる。しかも、前記の打合わせの席で会館側から小迫りを下ろした場合の危険について言及されていたことは前叙のとおりであり、被告人において、小迫り下降の時機を明確に知らされていない舞台出演者が、下ろされた小迫りの穴に転落する危険のあることは十分に知り得たものというべきである。そうとすれば右情況のもとにおいて、被告人はこの連絡の事務を果すため慎重な態度で臨むべきであり、これを具体的にいえば被告人には、前記の畠山の指示に従い、八代に対し、本件小迫り下降およびその時機を明確に伝え、もし八代からその時機の変更の申出があつた場合には、直ちにこれを小迫り操作の担当者に連絡する等、転落事故発生を防止するため適切な処置をとるべき注意義務があること明らかである。そして、八代が、前叙のように小迫りの穴に転落して、前示傷害を負うたについては、同人にも過失の存することは争えないが、被告人が右の注意義務をつくさなかつたことにも起因するものといわねばならない。

ところで、被告人の右注意義務は、前記のように、本件シヨー関係者らが出席した同シヨーの進行打合わせの場で、畠山みどりから指示されたという特殊な事情のもとに発生したものであつて、被告人が本件シヨーの進行責任者ではなかつたと認定すべきことは前叙のとおりであるうえに、右の連絡が、被告人の畠山みどりマネージヤー見習としての職務内容に当然含まれるとみることはできないから、いわゆる被告人の業務上の注意義務とはいえない。しかし、この注意義務の懈怠は、本件事故の原因であることはさきに説示したとおりであつて、結局右の注意義務を懈怠した被告人は、本件事故の発生について過失責任を負担しなければならないと解さざるを得ず、しかも被告人の右注意義務の懈怠は、前叙のような事情のもとにあつて、本件のような事故を発生せしめる可能性が大きいことは何人にも容易に理解し得るところと考えられ、さらに、該注意義務の遵守は、被告人にとつて、別段の困難を要せずこれをなし得たとみることができ、あえて、これを怠つた被告人に対する非難の可能性は大きいものとしなければならないから、刑法のいわゆる重大な過失に該当するものと解する。もとより本件事故について、被告人一人に全部の責任があるものとは必ずしも断じ難いけれども、被告人のみの責任に限定して論ずるとき右のような結論に至らざるを得ないのである。

そうとすると、「結局本件事故について被告人の過失を認め得べき証拠はない」とした原判決は、前記の五月二八日の打合わせの内容、被告人の八代英太への小迫り下降時機等についての連絡方法、ひいては被告人の本件事故についての注意義務の存在、およびその懈怠等に関して事実を誤認したことに帰し、この事実の誤認は、当審において検察官より予備的訴因の追加のあつたことをも考慮すれば、判決に影響を及ぼすこと明らかなものといわねばならないから、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則つて当裁判所において直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、演芸興行等を営業目的とする株式会社グリーン・アート・センター(代表取締役畠山みどりこと千秋みどり)の現場担当マネージヤー見習をしていたものであるところ、昭和四八年六月三日愛知県刈谷市大手町二丁目二五番地所在刈谷市民会館で催される株式会社三栄組の創業五三周年記念の従業員等慰安会に右畠山みどりが出演することとなり、同年五月二八日同会館において畠山が同会館の小迫りと称する舞台装置の操作を担当する刈谷市職員石川実、同樅山伸一らと右慰安会における演芸の進行について打合わせをした際、被告人もこれに出席したところ、そのときゲストとして出演する八代英太こと前島英三郎が舞台に出演してまもなくの時機に、畠山の出演準備のため右小迫りを下降させることに決められたが、右小迫りは舞台中央前面のセンターマイクの後方一・七メートルから同三・四八メートルの間に設けられていて、それが下降すると舞台の床に幅約二・〇五メートル、奥行一・七八メートルの欠落部分を生じ、センターマイクを使用する出演者の僅かな後退によつて同所から約四・七メートル下の奈落へ転落する危険があつたので、畠山は右打合わせの最中被告人に対しその危険を防止すべく、特に小迫りの使用に関し八代に連絡するよう指示した。そこで、被告人としては八代の出演中に小迫りが下降されることならびにその時機を適確に八代に伝え同人の意向を徴し、その時機につき前示石川、樅山と出演者たる右八代との間に認識の不統一がないよう確実に連絡、調整し、もつて八代が右小迫りの下降時機を誤認して奈落に転落する危険を防止すべき注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、同年六月三日午前一一時二〇分ころ、前示会館内において、右石川から小迫り下降時機について尋ねられるや、八代の演技開始直後である旨答える一方、同日午後一時四〇分ころ、右会館内において、八代に対し、単にその出演中に小迫りが下降される旨を伝えたのみで、その時機を明確にせず、しかもその際八代から小迫り下降時機を同人の演技の終りころにして欲しい旨要望され、これを了承しながら八代の右要望を右石川らに連絡せず、その他右小迫りの下降時機についての関係者らの認識の不統一を解消するため適切な措置をとらなかつた重大な過失により、同日午後二時ころ、八代が舞台に出演し、前示センターマイクを使用して演技を始めようとした直後、前示打合わせに従つて右石川が右樅山に指示して小迫りを下降させた結果、数歩後退した八代をして小迫り下降後の舞台床欠落部分から奈落に転落させ、よつて同人に加療約一ヶ年を要する第一一、第一二胸椎間脱臼、第一二胸椎骨々折、脊髄損傷の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条後段、罰金等臨時措置法三条一項に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、刑法一八条を適用して右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを全部被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田寛 鈴木雄八郎 吉田宏)

別紙

被告人は、演芸興行等を営業とする株式会社グリーンアートセンターの現場担当マネージヤーとして、同社代表取締役畠山みどりこと千秋みどりが行なう演芸の企画、構成、進行等を補佐しているものであるところ、昭和四八年六月三日に刈谷市大手町二丁目二五番地刈谷市民会館で催される株式会社三栄組の従業員等慰安会には右みどりが出演することとなり、同年五月二八日同会館において右みどりとともに、「小迫り」と称する舞台装置操作等を担当する刈谷市職員石川実、樅山伸一らとの間で右みどりが出演する演芸の進行について打合わせをした際、その演芸に、同女等の舞台上下に昇降させるための右「小迫り」を四回使用することとして、そのうち一回は、みどりの出演準備の間に歌謡ものまねを演ずる八代英太こと前島英三郎の舞台出演中に下降させることとなつたが、右「小迫り」の位置が舞台上の前島の直後にあつて、前記市民会館勤務の刈谷市職員によつて操作されるものであるうえ、「小迫り」の下降が開始されると幅約二・〇五メートル、奥行一・七八メートルの舞台床欠落部分を生じ、前島の僅かな後退によつて同所から約四・七メートル下の奈落へ同人が転落する危険があつたから現場担当マネージヤーたる被告人としてはあらかじめ、みどりと協議する等して「小迫り」を下降させる時機を確定し、これを「小迫り」操作の前記会館勤務の職員及び前島英三郎に連絡する等出演中の前島英三郎の「小迫り」穴への転落事故を防止するについて万全の措置を構ずべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同年五月二八日前記会館において、前記打合わせの際「小迫り」の昇降時機については一応前島が舞台に出た直後に下げることとするが、確定的には出演時までに前島英三郎との協議の結果によることとし、前島との右連絡協議方をみどりから指示されながら慰安会当日の午前一一時二〇分ころ、前記会館内において、「小迫り」操作担当の石川実から前島英三郎出演中における「小迫り」下降時機について確認されるや、当時未だ前島英三郎と「小迫り」下降時機について連絡協議を遂げていなかつたのに漫然、前記五月二八日の一応の打合わせどおり、前島英三郎がセンターマイク前で演技を開始した直後「小迫り」を下降せしめてさしつかえない旨応答したほか、更に同日午後一時四〇分ころ前記会館内において、前島英三郎に対し、同人出演中における「小迫り」下降時機についてその意見をただしたところ、同人が三曲歌い終つた後の花束贈呈後にして欲しい旨要望されて了承しながら、それを「小迫り」操作担当の前記石川実らに連絡することを忘失した過失により、同日午後二時ころ前島英三郎が舞台中央の固定マイク前に立つや、「小迫り」操作担当の石川実が樅山伸一に「小迫り」下降操作方を指示して「小迫り」を下降させた結果一曲目を歌うべく数歩後退した前島をして「小迫り」下降後の舞台床欠落部分から奈落に転落させ、よつて同人に加療約一ヶ年を要する第一一、第一二胸椎間脱臼、第一二胸椎骨折、脊髄損傷の傷害を負わせたものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例